第9回 「スポーツ・インテグリティとは何か?」
スポーツ医・科学委員会の委員の藤井基貴氏のコラムです。スポーツの誠実性・健全性・高潔性を表す言葉として用いられるようになった「スポーツ・インテグリティ」について解説しました。
(日本卓球協会スポーツ医・科学委員会委員長 吉田和人)
2020.09.10 更新
第9回 「スポーツ・インテグリティとは何か?」
日本卓球協会スポーツ医・科学委員会委員
藤井基貴(静岡大学教育学部)
2018年6月15日、相次ぐスポーツ界の不祥事やスキャンダルを受けて、スポーツ庁は「スポーツ界全体を挙げ、旧弊を取り除き、スポーツ・インテグリティ(誠実性・健全性・高潔性)を高めていかなければなりません」(スポーツ庁、2018)と声明を出しました。これまでスポーツ倫理やスポーツマンシップとして語られてきたことは、今日ではスポーツ・インテグリティという表現に置き換えられつつあり、オリンピックを控えて、その言葉の重みは日に日に増していると言えます。
もともとインテグリティの原義は「分割されていないこと(integer)」にあり、そこから「完全性」や「一貫性」を保った状態を意味するようになりました。つまり、インテグリティには行き過ぎを抑制するブレーキのような役割が期待されているというよりも、元来は人として目指すべき価値観、また体現すべき在り方そのものを言い表そうとしたものであると言えるでしょう。したがって、スポーツ・インテグリティという概念についても「やってはいけないこと」を示す「予防倫理」的な側面だけでなく、「どんなスポーツ選手でありたいか」を問いかけ、理想や価値の実現を目指す「志向倫理」的な側面も持っていると理解しておく必要があります。
かつての名選手であるスウェーデンのシェル・ヨハンソンは世界選手権のマッチポイントにおいて相手選手のエッジボールをみずから申告し、負けを認めて、相手をたたえたというエピソードを残しています。このことによってヨハンソンにはユネスコから国際フェアプレー賞が贈られました。彼は優れた選手であっただけでなく、人格者としても多くの人を魅了し、語り継がれてきました。荻村伊智朗もまたヨハンソンについて「精神面でも人間能力の限界に近い風格を示している」(朝日新聞、1975)と評しています。
スポーツ・インテグリティとは何か。これは私たちがスポーツを通して、これからどんな文化や価値を創造・実現したいのかを問い続けるためのスポーツ人としての課題とも言えるでしょう。ヨハンソンが体現したインテグリティを私たちはこれからどのように受け継ぐことができるでしょうか。
文献
スポーツ庁(2018). 我が国のスポーツ・インテグリティの確保のために,鈴木大地スポーツ庁長官の会見.https://www.mext.go.jp/sports/b_menu/choukan/detail/1406121.htm,(参照日2019年12月27日).
卓球王国Web(2011).「ハンマースマッシュ」のシェル・ヨハンソンが逝去,http://world-tt.com/ps_info/ps_report_detail.php?&pg=HEAD&page=BACK&bn=1&rpcdno=689,(参照日2019年12月27日).
荻村伊智朗(1975)「組織力で破れた日本」朝日新聞朝刊(1975年2月11日).東京,p.15.なお,対戦相手やルールだけでなく,審判に対しても十分な敬意を払って試合に臨むことが,スポーツ・インテグリティの核心をなしてきたことは言うまでもない。