JTTA指導者養成委員会


ブースター使用への対応策としての「ラバー反発力の上限設定」:研究に関する解説

多くの卓球人が関心を持っている本件について、数年に亘り研究推進をリードしてこられた前日本卓球協会スポーツ医・科学委員会委員長ならびに前国際卓球連盟スポーツ科学委員会委員長代理でありました 辻 裕氏より、解説文を寄せていただきましたので、ご紹介致します。

 

2014年 7月 25日

 

各 位

公益財団法人 日本卓球協会

専務理事 前原正浩

スポーツ医・科学委員会委員長 松尾史朗

 

ブースター使用への対応策としての「ラバー反発力の上限設定」

多くの卓球人が関心を持っている本件について、数年に亘り研究推進をリードしてこられた前日本卓球協会スポーツ医・科学委員会委員長ならびに前国際卓球連盟スポーツ科学委員会委員長代理でありました 辻 裕氏より、解説文を寄せていただきましたので、ご紹介致します。

解 説

辻  裕

1.ブースターとは

ラバーに大きな反発力を持たせるために、ブースターと呼ばれる物質をラバーとスポンジに染み込ませる手段が、諸外国の選手の間では用いられていると言われています。
ブースターという言葉は、「強化する」「促進する」「押し上げる」という意味の単語です。ロケットエンジンなどの場合、推進力を増すために主エンジンの他に補助エンジンが取り付けられることがありますが、そのような補助エンジンはブースターと呼ばれています。機械工学の分野では広く用いられる言葉です。
卓球の場合、「ブースター」という名で販売されているラバーがありますが、それは単なる商品名でありここで論じる「ブースター」と全く関係はありません。最近、問題になっているブースターは、反発力増加のために用いられる液状物質のことで、実際には鉱物性油脂または植物性油脂であり、物質としては特殊なものではありません。もちろん特殊な物質が用いられる場合もあります。
インターネットでブースターのキーワードで検索すると、たちどころに市場に出回っている多くのブースターの情報が得られます。なかには塗り方まで解説しているホームページもあります。ブースターが一部の選手の間で使われ始めたといわれているのは有機溶剤を含む接着剤が禁止されてからだと思われます。
有機溶剤を含む接着剤は人体に有害という理由で禁止されました。接着は卓球にとって必要不可欠な行為ですが、ブースターの場合、反発力増強だけが目的であり、プレーには必要なものではありません。
国際卓球連盟(ITTF)の規則には、ラバーにはいかなる化学処理も物理処理も施してはならないと明記されていますが、規制が実態に追いついておりません。現状では、人体に有害性を持つとまではいえない物質であるため、ITTF公認機器では測定できないこともあり、隠れ使用が行われている状態です。日本卓球協会はかつて有機溶剤入り接着剤の禁止において主導的な役割を果たしました。そのような協会が世界に送り出す選手に対して、規則で禁止されている物質を使うことを厳重に禁止するのはある意味当然といえます。一方、海外でのブースター使用は、一部の一流プレーヤの間でも使用されていると考えられます。世界を相手に戦っている日本選手にしてみたら、極めて不公平な扱いを受けていることになります。1年半前の水谷選手の抗議には多くの人々が共感しました。ここで問題を更に複雑化しているのは、選手だけでなく、特定少数のラバーメーカーが工場内において、ブースター処理を施している事なのです。高反発の性能を売り物にしているラバーは、全て工場内でブースター処理がされていると見ていいでしょう。そのようなラバーに対して、購入後、更にブースターを染み込ませると、数パーセントですが、反発力は増えます。工場内でブースター処理をしていないラバーの反発力はブースター処理をしたラバーに比べて反発力は明らかに小さいですが、そのラバーにブースター処理をすると、反発係数に換算して15%ほども反発力が増加し、反発性能に関しては全く遜色がなくなります。

2.落下テスト—日本卓球協会の提案

さて、明らかな規則違反であるためブースターを禁止するためには、規則や検査の方法を作らなければなりませんし、検査法に実効性を持たせるには、競技の現場で使用できるものでなければならないでしょう。有機溶剤の場合、イーネッツなる検査器が導入されました。当初は測定精度に問題がありましたが、現在は安定した機器と人体には有害とはならない上限数値の基で、トップ選手がそれに違反することはなくなっています。成分分析において精度を要求するとかなり高価な装置が必要になります。また新しい成分のブースターが開発されると、その度にその成分に対する対応が必要になり、言わばいたちごっこになります。そこで現実的に競技場で導入することを想定して考え出された方法が反発弾性を測定する方法なのです。
日本卓球協会は、鋼球を、ラバーを貼ったラケットに落下させ、その跳ね返り高さから反発弾性を測定する検査法を、2013年パリでの世界選手権開催時のITTF理事会で提案しました。測定原理は極めて単純で明解ですが、日本卓球協会はこの提案のために周到な準備を進めてきました。すなわち関係役員・委員、ゴム会社の専門家の方々と会合を重ね、代表的なラバーに対して実験も行いました。検査の試作機器まで持ち込んでの提案は大きな反響を呼びました。ITTF理事会では提案内容に戸惑う理事もいれば、そのような検査自体に消極的な意見もありましたが、事の重要性を認識したシャララ会長は継続審議を提案し、それを理事会が承認しました。
日本卓球協会の提案によれば、跳ね返り高さが、定められた制限値を超える反発弾性を示すラバーを禁止することになります。ブースター処理が施されていないラバーの反発弾性を制限値と定めたら、ブースター処理をする意味がなくなるので、自動的にブースター処理は消え去る事が期待されます。しかし、反発弾性は種々の影響を受ける可能性があり、データの散らばりを考えると、ある程度の許容範囲を認めざるを得ません。許容範囲を大きく取ると、規制が甘くなり、ブースターの完全な禁止は期待できません。制限値をどのように設定するかは非常に重要ですが、本稿ではあえて、その問題にこれ以上立ち入らないことにします。ここでは、多くの卓球人が意外に思っている鋼球を利用する理由について、解説してみましょう。

3.なぜ卓球ボールではだめか

鋼球使用が提案された時、卓球は鋼球でプレーする訳ではないのになぜ卓球ボールを使わないのかという質問が数多く寄せられました。鋼球をある高さから落下させ、跳ね返り高さからゴムの反発弾性を測る方法は、ISO 8307にも規定された手法であり、新規なものではありません。ただし、ISO 8307 では鋼球の大きさは16ミリであり、高さは、50センチメートルで、提案されている9ミリとはかなり異なります。これについては後で論じましょう。
(注 ISO:国際標準化機構)
鋼球を使う理由の1つは球の精度にあります。卓球ボールは大きさや重さは非常に厳密に製造されています。しかし反発に関しては、30.5センチメートルの高さから厚さ2.0cmの標準鋼板の上に落下させた場合、跳ね返り高さが24センチメートルから26センチメートルの範囲であれば、合格するのです。つまり卓球ボールの場合、反発に関しては大きなバラつきが許されています。その程度の精度の物体を検査に使う事は望ましくありません。さらに内部に空気が入っているために、温度のような大気状態の影響を受けやすくなります。鋼球にも様々ありパチンコの玉のような粗雑なものから、ボールベアリングに使用される極めて精度の高い球まであります。ボールベアリングで使用される鋼球においてそのスペックを指定すれば、個々の球の違いは極めて少ないと考えてよいでしょう。
鋼球を利用するもっと大きな理由は、ある物体の反発弾性を調べるには、その物体に比べて十分硬い物体を衝突させなければならない事にあります。一般に硬い物質と柔らかい物質が衝突する場合、柔らかい物質の特性が支配的になります。卓球ボールは柔らかく、鋼球は硬い部類に入ります。ここで誰にでもできる簡単な実験を説明しましょう。卓球ボールと鋼球を例えばベニヤ板に落としてみて、その跳ね返り高さを比べて見てみましょう。卓球ボールはある程度の高さまで上がりますが、鋼球はほとんど跳ねず、ポトリと落ちます。ベニヤ板は衝撃のエネルギーをよく吸収するので、それ自身は衝突する物体を跳ね返す力はあまりありません。卓球ボールはベニヤ板と同程度の硬さであるので、卓球ボールの特性が失われることはなく、卓球ボールが持つ反発弾性によって跳ねるのです。鋼球の硬さはベニヤ板の硬さに比べ圧倒的に大きいため、ベニヤ板の特性が支配的となり、鋼球は跳ねません。次にラバーの貼ったラケットに上に卓球ボールや鋼球を落としてみましょう。卓球ボールはもちろん跳ね上がります。鉄球も同様に跳ね上がります。卓球ボールはそれ自体の跳ね上がる能力によって、ベニヤ板であろうとラバーであろうと、関係なく跳ねます。鋼球の場合、大きな反発弾性力をもつラバーによって、高く上がるのです。つまり鋼球の跳ね返り高さは、鋼球の反発弾性を示しているのではなく、ラバーの反発弾性を示しているのです。
以上の結果から、ラバーの反発特性だけを取り出して調べるには硬い鋼球が必要であることがわかっていただけたかと思います。もし卓球ボールの反発弾性のみを取り出して調べたい場合には、硬い物質の上に衝突させる必要があります。事実、卓球ボールの反発係数の測定は、硬いスチールの上に落下させて測るように規定で定められています。
最後に、大きさが9ミリの鋼球を30センチから40センチの高さから落下させる事が提案されていますが、その意味について説明してみましょう。跳ね上がり高さからラバーの反発弾性を調べる場合、ラバーの下部には、変形しない硬い物質を置くことが理想的です。そのためには、ラバーを剥がしてガラスのような硬い物体にラバーを貼りつけなければなりません。競技現場でラバーを検査する事を想定すると、そのような張替え作業は、現実的には採用され難いと思われます。球の落下テストによる、ラバーの反発弾性測定において、ブレードや更にその裏に貼られたラバーの影響が無視できるような状態を得るには、球が軽く、また落下高さを小さくすることが必要になります。力学の言葉を使えば、質量✖速度で定義される運動量を十分に小さくすることです。しかし余り小さくしすぎると跳ね返り高さはゴム表面の薄い層の影響だけを受け、ブレードは言うまでもなく、ブレードとゴムの間にあるスポンジの影響も受けなくなる可能性があります。一般に検査すべきラバーは裏ソフトのラバーで、ゴムとスポンジの二層構造になっています。跳ね返り高さがゴム表面の影響だけを受ける検査は意味がありません。となると、ある程度の運動量が必要になります。

4.絶妙な選択

興味深い実験の結果を紹介しましょう。大きさが直径8ミリのセラミックス球を40センチの高さから落下させました。鋼球に比べると重さは約半分です。あるラバーをガラス、アクリル板、ブレードの材質の異なる3種類の台に貼り、それぞれの上での跳ね返り高さを測ったのです。跳ね上がり高さは、3種類の台の間で差が出ませんでした。この結果から、セラミックスのような軽い球を使うと、ラバー下部の物体の影響が現れないことがわかります。しかし、跳ね返り高さがゴムの下のスポンジの影響も反映したものになっているかどうか、不安が残ります。9ミリの鋼球を使って同様の実験をすると、跳ね返り高さの大きさの順は、ガラス、アクリル板、ブレードとなりました。ラバーの下の物体の影響を拾い上げていることで、スポンジの影響が含まれていることが確認できます。ブレードにも硬いブレードから柔らかいブレードまでありますが、ブレードとアクリルの差に比べると、それらの違いはわずかと言えます。8ミリでも10ミリでもなく9ミリでなければならないという程、厳格なものではありません。最適な直径が詳細な測定の結果、提案される可能性はありますが、この範囲の直径に収まると思われます。その意味で9ミリの鋼球利用は絶妙な選択と言ってよいでしょう。

5.終わりに

ITTFは反発によるラバーテストの検討を続けることを表明しています。今後も様々な意見が出るでしょう。最終的にどのような結果になるか、この原稿を書いている時点では、予想ができませんが、規則が厳守されない状態、用具の過度な性能向上は、卓球の将来を危うくする面があります。卓球の健全な発展を願って筆を置きます。